サロマ湖に関するQ&A
- サロマ湖養殖漁業協同組合とは、どういう組合なのですか?
- サロマ湖という1つの湖を3漁協がバラバラに使っていたのでは、漁業や漁場の荒廃につながるということで、ホタテ・カキの漁業権を一括して管理するための組合として成立した
- 現在はホタテ養殖や環境管理のための調査研究が業務の中心
- 明治からのサロマ湖の歴史を教えてください
- 明治28年にはボラ、ウグイ、ニシン、カレイ等の魚類、カキ、サケ・マス等を漁獲していた
- 大正時代にはカキ漁業が盛んになる
- 昭和4年に第1湖口開削、ホタテが発見される
- 戦前・戦後を通してホタテ養殖技術が開発された。戦後には種苗導入によるカキ養殖も確立し、昭和35、36年には湖内漁業の首位を占めた
- 養殖ホタテは昭和40年代より年間7000トン程度、平成に入ってからは養殖カキは1000トン程度が生産されるようになる
- 今は汽水湖ですが、もともとは海とは繋がっていなかったのですか?
- 現在は汽水湖というよりも、塩分濃度でいえば31~33‰と通常の海水に近い状態
- 3000年位前から湖口は鐺沸にあり、冬は湖口が埋まっていたが、春には雪解け水で増水して湖口が切れ、外海とつながっていた
- 明治の頃には鐺沸の村民が口を開いて船の出し入れをしていた。鐺沸(トウプト)とは湖口の意味
- 海と湖が繋がったのはいつごろですか?また繋がった原因は?
- 昭和4年4月20日、湧別の人たちにより7m余りの水路が完成したが、水流はなかった。その夜春の嵐が起こり、翌21日、前日の水路には激流渦巻き、湖内の大氷盤がたちまち湖外に流下していった。岸は刻々に崩れて地響きをたて、ついには幅200m、深さ7mの永久湖口となった
- 湖口を開けた理由
・登栄床の漁業者が船を外海に出すため
・低地にある芭露の人たちが増水で被害に遭ってきたため
- 湖が開いたことによってどんな変化が起きたのですか?生態系はどのように変わったのでしょう?かつてサロマ湖にはどのような生き物が棲んでいたのでしょう?
- 水質が変化し、汽水から外海水に近くなった(塩分が33‰と高くなり、水温が25℃まで上がらず、黄色を呈していた水質も良くなった)
- 汽水湖から海水湖へと、生態系の一大転換点を迎えた(漁業生産の観点ではカキからホタテへ)
- 旧湖口周辺には天然カキが繁殖していたが、他には漁も少ない雑魚(ソイ、アメマス、ウグイ、カレイ、コマイ、キュウリウオ、チカ等の他、現在は見られないボラ、イトウ、フグ等)が棲んでいた
- ホタテ養殖のキッカケは?
- 昭和4年第1湖口開削によりカキ消滅
- 昭和8年4月、道立水産試験場の木下虎一郎氏が「浅海増殖」の担当として着任
- カキ採苗の調査中に、ホタテ稚貝が多数付着していることを発見
- 天然採苗試験と同時に3漁協から推薦を受けた20名の青年に対して、貝類養殖の研修・指導を行った
- ホタテはどう養殖するのですか?
- 湖を守る環境対策は?
- 昭和50年代よりホタテ、カキに対する養殖許容量を設定して、サロマ湖の環境に対する負荷を制限している
- 「森と海はひとつ」昭和40年頃より植林を始め、現在の3組合の所有林は250万㎡
- 湖内、流入河川の環境モニタリングを継続的に実施してきており、現状を常に把握してきた
- 「サロマ湖ゴミ0運動」毎年6月に全域の清掃
- 生物に有害と考えられている鉛資材をサロマ湖から全廃した
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